戻る
不定期宇宙船 No.4

片桐 哲


 
 わざわざ買い求めたりはしないけれど、図書館で見かけると必ず借り出してくる本がある。なにかといえば、文章読本とか小説入門の類である。「新人賞の取り方」などという身も蓋もないものも一応読んでみる。
 星群の会に所属しているのだから、当然、創作の参考になるかも、というスケベ心があるわけであるが、まあたいていの場合、ただのひまつぶしにしかならない。

 最初に読んだこの手のハウツウ本はなにかと考えたら、石ノ森章太郎(当時は石森章太郎)の『マンガ家入門』だった。奥付を見ると、1968年版である。
 こういう本は、読んだ人間を一瞬その気にさせるという恐ろしい力を秘めているので、ボクもGペンとケント紙を買い込んでガリガリと描いてみたわけであるが、実際にやってみると、ボクはキャラクターの顔を繰り返しいつでも同じように描くことができないということに気がついた。いやはや、さいとうたかを、偉い。
 SF関連のハウツウ本というと、古いところでは初代『SF入門』の中に、『長編SFの書き方』と『短編SFの書き方』というのがあったと記憶している。もちろん嚆矢は小隅黎/監・訳の『SFの書き方』
 あとは参考文献として役に立つ有名な星新一の『できそこない博物館』とか、豊田有恒『あなたもSF作家になれる(わけではない)』、筒井康隆『乱調文学大辞典』『短編小説講義』などなど。
 中島梓『小説道場(1〜4巻)』というものもあるが、SFの参考になるかどうかは分からない。「やおい」もSFみたいなものだと、いえなくもない……、無理か。
 いろいろ読んで分かってきたのは、翻訳のハウツウ本では、マニュアル通りに書けば小説は書けるという内容が多いということ。そのマニュアルがどこにあるかといえば、大学の創作学科のようだ。例えば、マイクル・クライトンの著作を読んでいると、本当にマニュアル通りだなと感じさせられるし、ハリウッドの映画を見ていても同様の感じを受ける。
 日本の場合は、いろいろ書いてあっても、最後には「こんな本を読もうが読むまいが、小説を書く奴は書くのだ」というニュアンスで締め括る書き手がけっこう存在する。そんなことを言ってしまったら、この本を書いた意味がなくなるだろうと思うのだが、ハウツウ本で作文の技術は教えることができても、オリジナリティはそれぞれの脳味噌の中にしかないということだろう。マニュアルより才能重視といったところか。
 ディズニーランドはマニュアルによって管理運営されていて、そのマニュアルは世界最高と言われ、日本人には作れないがそのマニュアル通りに作業させたら、日本人は世界一なのだそうだ。だから日本のディズニーランドは完璧。(爆)
 自動車工場の製造ラインでは、マニュアルは作業標準と訳され使用されているわけだが、トヨタの『KAIZEN(改善)』というのは作業標準の効率的な見直しをラインの作業者が行う。つまりマニュアルを疑ってかかるわけだ。
 アメリカの自動車メーカーでは、作業者が上から下りてきたマニュアルを変更するなど、思いつきもしなかった。なぜだろう?
 マニュアルの始まりはなにかと考えたら、「モーセの十戒」というのが思い浮かんだ。そういえばアメリカ人にとって聖書は人生のマニュアルなわけで、それを疑ってかかる習慣はないものな。
 どうやら創作の世界でも、アメリカ人と日本人の思考方法はそれぞれ同じようである。
 

(2007.6.16)

inserted by FC2 system