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不定期宇宙船 No.24

片桐 哲



 ロバート・B・パーカーの『われらがアウルズ』を読む。主人公は14歳だ。ハードボイルドの作家が書いているせいか、読んでいる間は少年という感じがしなかった。まあ、しかたないとは思うが。
 読みながら、ときどき自分の14歳のときを思い返した。中学2年生である。
 中学1年生までは、本はほとんどジュヴナイル版で読んでいた。SFは「少年少女空想科学小説」などというシリーズだったし、ホームズやルパンも少年少女用のダイジェスト版だ。家にある文学作品も「少年少女世界文学全集」だった。
 両親はほとんど読書をしない人間だったので、親の本棚などというものはなかった。しかし子供には本が必要だと思っていたようだ。
 2年生になってようやく自分で大人用の本を買うようになる。最初に手に入れたのはアシモフの『暗黒星雲のかなたに』だった。当時の中学生など、たいした小遣いをもらえるわけではないので、廉価な文庫本で読書の世界が広がっていった。
 SF以外では柴田錬三郎の剣豪小説にけっこうはまった。『赤い影法師』という忍者ものなどは、14歳には刺激が強かった。炬燵にもぐりこんで、ドキドキしながら読んだ。
 2年生に進級したとき、突然体調をくずし微熱が続くようになった。肺門リンパ腺炎と診断され、1学期のほとんどを欠席するはめになる。自宅で安静にして、本を読むくらいしかすることがないという理想的(笑)状態だった。
 夏休みが終わって、クラスの席替えが行われると、となりの席にSFの同好の士が現れた。彼はボクよりずっと多くのSFを読んでいた。そして、『SFマガジン』という月刊誌が、この世にあると教えてくれた。
 初めて買った『SFマガジン』は、1964年の10月号だろうか。「果てしなき流れの果てに」が連載途中だったような気がする。表紙のデザインは、子供用の雑誌を見なれた目には、かなり暗い印象だったことを憶えている。それはかえって、大人の世界への扉のような重々しさを感じさせた。
 当時、ボクの住む町の本屋には早川の「銀背」など影も形もなかった。創元SF文庫もとなり町まで買いに行かなければならなかった。
 『SFマガジン』を読むようになって、早川のSF出版物の全容がわかってきた。やがて文庫だけでなく、「銀背」や「日本SFシリーズ」がボクの本棚に並ぶようになった。
 中学2年生の秋から高校1年生になるころまでが、新しいSFを買うたびにいつでも衝撃作にぶち当たるという、ボクのSF読書人生のなかでは、もっとも幸せな時期だった。


(2009.1.15)

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