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チンタオ便り
11回目:青島入院体験記

堀州美安


 中国の病院に入院するという得がたい体験をした。
 なんと五泊六日である。
 
 昨年の暮れ、ちょうどクリスマス翌日の日曜日から調子がおかしくなった。
 クリスマス当日の土曜日にはちょっとした宴会があって、やや飲みすぎた。どうせ一種の二日酔い、なんとなく熱っぽかったけれど、まあ夕方にはいつものように回復するだろうとごろごろしてた。
 まあ、こっちの飲み方ははんぱじゃない。いわゆる一気飲み、トントントントンとテーブルを叩き、カンペーの掛け声とともに飲み干す。空になったグラスを逆さにして見せなければ失礼になるようだ。その分、ビールでも小さなグラスではあるのだが、立て続けとなるとさすがにきつい。おそらく一気飲みも中国伝来なのだろう。誰か文献を漁って、一気飲みのルーツ本でも書いてみませんか? まあ、そんなんだから、日曜一日は覚悟していたのだ。
 ところが、翌日も様子がおかしい。熱を測ると、38度を超えている。その翌日も、その翌日も夜になると熱が上がり、最高は39.6度を記録した。とにかく寒気がしてがたがた震える。ずっとマイナスが続く厳寒の候ではあるけれど、明らかに震えは身の内部から発している。ひとしきりの悪寒が収まると、今度はかっかと火照ってくる。
 ところが、高熱以外にはまったく病気の症状がないのだ。咳き込んだり、喉が痛かったり、腹を下していたりすれば、ああなるほど風邪だわいと納得もできるのだが、鼻水も出なければ、詰まる痰もなく、そりゃ多少の頭痛はするけれど、ただただ熱が出続けているという原因不明の病気なのであった。
 その週の金曜日、ついに病院で見てもらうことにした。青島市立病院という。
 こういう時、言葉の不自由な日本人のためのサービスがある。経営母体は日本の会社だが、中国人の通訳が常駐していて医者との仲介をしてくれる。
 病院まで車で一時間半、朝早くからタクシーで青島市内へと向かった。九時半までに入らないと血液検査ができないのだ。渋滞に巻き込まれることなく九時ごろ到着した。
 仲介サービスの受付は四階にあり、Wさんという女性が出迎えてくれた。後で聞いたところでは、北九州に留学経験があるという。
 さっそく熱を測ったが、朝ということもあり平熱だった。
 まず問診、メガネを掛けた顔も唇も細い女医さんだ。症状を説明すると、さっそく入院を勧められる。原因を探るために必要だというのだが、まったく用意をしてきていないので、今日は無理だと答える。
 レントゲンを撮り、血液を採取。気管支に軽度の炎症が見られるとのこと。血液はすぐに結果の出る検査では異常なし、午後でないと結果のでない検査は電話で知らせてもらうことにして、その日は工場に戻った。
 三時ごろWさんから電話、なんという名前か忘れたけれど、感染症や炎症を示す数値が正常値の十倍ほどあるということだった。だが、白血球には異常がないという。
 翌日、今度はCさんという男性スタッフから電話、次はいつ来ますかと問われる。土日様子を見て決めたいと答える。
 で、その土日だが、日中はまだしも夜になると熱が上がるので、月曜日に再訪したいむね連絡する。入院覚悟で着替えなど詰め込んででかける。
 ところが、医者が変わったせいか、検査らしい検査なにもせず入院の必要なしと帰されてしまう。朝起き掛けに計ったときは37度ちょっとあったのに、病院では平熱、熱もないのに検査のしようがないというのが、理由らしかった。こちらとしては、原因が分からないから、それをはっきりしてほしいというのが希望であったのに。
 それから一週間、38度を超える高熱こそ収まったが、まだ37度ちょっとの微熱が続いていた。相変わらず、他に病状はない。
 再び電話、今度は副総経理のMさんが出る。日本でいうところの副社長にあたる、僕といくらも年の変わらない日本人女性だ。原因が分からないから気持ちが悪いと訴える。そして1月12日、最初の女医さんが当番の日を選んで再々出動。
 一泊だけのつもりだった。ところが、一週間くらい入院しなければ検査できないという。心積もりができてないから、いっぺん帰って出直すわけにはいかないかと聞くが、だめだという。通訳のいうには、病院としての責任があるからという理由らしい。
 その日は確実に血液検査をするために8時ごろに来てくれということだった。ところが、こちらは8時少し前に着いたものの、仲介サービスのオフィスが閉まったままだ。Mさんに連絡を取るが、どうやら渋滞に巻き込まれているらしい。結局、その日は採血できずじまい、こちらとしては、何より最初に異常値の出た血液を優先してほしかったのだが。
 入院初日何を調べたのか、どうもよく覚えていない。結局、ぐずぐず時間が経って、ただ点滴だけを打ってもらっただけのような気がする。
 尿、便、痰など採ったのは翌朝のはずだし、もしかしたらCTスキャンだけはこの日だったかな? ところで、日本の病院だと、まず何より「おしっこ採ってきて!」から始まるが、何故かこちらでは尿検査というのは優先順位低いようだ。昨秋受けた会社の健康診断でも尿はなかったし。何故なんだろう? ちょっと不思議である。
 病室は9階、呼吸器科である。個室ではなくベッド数は三つ、今回の入院中は僕を含めて二人であった。もちろん相客は中国人、同じ日の入院であった。
 この中国人がとにかくうるさい。一日中ケイタイをかけまくっている。こちらからもかけるし、むこうからも頻繁にかかってくる。ちなみに、中国の病院は病室でもケイタイOKなのであった。
 日中だけならまだしも、夜もしつこく話している。言葉が通じないから抗議のしようもない、へんにこじれてもやっかいだしと半ばあきらめていたが、ある夜ついに切れてしまった。まったく無意識に、気が付いたら「うるっせいな!」とどなっていた。11時を過ぎていた。まあ、それから少しはおとなしくなったが。
 意味はまったく分からない。ブスというのがかろうじて理解できるくらい。不是、NO!である。それ以外はべちゃべちゃぐちゃぐちゃべちゃべちゃぐちゃぐちゃ、合間にホホホホホホホホと聞こえる相槌が長々と入る。こんな場合、意味が分かったら面白い面もあるだろうが、余計に苦痛な気もする。こんな言葉覚えたくねえや・・・またしても中国語は遠ざかるのであった。
 たぶん30半ばから40くらいだろう、アンガールズの背の高いほうに似たおっさん(僕からすればにいちゃん)、頻繁に奥さんらしい女性が食料など持ってやってくる。電話の雰囲気から、たぶん自由業(経営者かもしれない)、商売の行方が気掛かりでケイタイをかけまくっていたのだろうと想像していたが、事実は分からない。
 二日目の検査が済むと、三日目からはただ点滴を打つばかりで、検査など何もなかった。
 だいたい3本の点滴は昼過ぎには終わるから、注射針から開放されたあとは散歩に出かけることにした。足腰の調子を取り戻すためのリハビリでもある。
 すぐ近くにジャスコがあり、そこのスタバに寄ってしばし読書を楽しんだ。用意してきた本は、キングの『図書館警察』、未読は併載の『サンドッグ』300ページ。一日の入院ならこれだけで十分と思っていた。ところが思わぬ長期入院となり、四日目には読むものがなくなった。
 ジャスコよりもう少し足を伸ばすと、書城というUFOのような造りのマンモス書店がある。日本の本は一冊も置いてないが、もしかして中国人のための日本語教材に読める物があるかもしれないと思い、探してみた。『新編日本文化概況(高等学校日語教材)』というのがあった。前言を除くすべてが日本語である。大連理工大学出版社発行、日本がどういうふうに紹介されているか、なかなかに興味津々、「KY」(空気読めない)なんてのが紹介されているかと思えば、文学は『枕草子』『徒然草』からいきなり『浮雲』『羅生門』に飛ぶ。現代作家として三島由紀夫、安倍公房と並んでなぜか村上龍の名があがる。春樹やばななはまったくでてこない。その概況ともう一冊、『芥川龍之介作品選』を買った。田山花袋だとか島崎藤村だとかといっしょに並んでいた。
 昼晩の食事は近くの日本料理店(日本人経営)から出前をしてもらった。これも仲介サービスの一環である。雑炊、カツ丼、親子丼、毎日丼系ばかりで飽きるけれど、まあ何が食べたいかと聞かれても何ができるのかも分からないから、辛抱することにした。朝はジャスコで買ってきたパンとジュースで軽く済ませた。
 ところで、こちらの病院には院内食というものがない。医食同源の国だから、ちょっと意外だった。中国人たちもめいめい外で買ってきたものを食べているようだった。インスタントラーメンくらいなら作れる給湯設備のあるコーナーがあった。売店もあるが、飲み物や菓子類ばかりで、弁当なんて気の利いたものはいっさい置いてない。饅頭(マントー)さえもない。
 さて、そんなこんなで、検査入院のはずが、検査らしい検査もろくすっぽなしで退院の日を迎えた。本当はこの日、エコーの検査をするはずだったのだが、医者間の連絡が取れていなくてキャンセルとなった。その代わりというのではないけれど、前日の夜、薬が支給された。てっきりエコー検査のための薬かと勝手に思い込んでいたのだが、次の日Wさんに見せたら、喘息の薬だという。喘息の気などないのに、しかも今頃出してくるなんて金儲けのことしか考えてないと憤っていた。エコーだって、やるならもっと早くにやるべきだ、ここの呼吸器科はだめだ、云々。とほほ、いったい何のための入院だったのだ?
 ともあれ、検査の結果は初回には異常のなかった白血球がやや多いだけで、とりたてて問題なしとの診断であったようだ。点滴が効いたのか、すっかり平熱に戻った。
 
 この半年足らずの間に、二度の風邪と今回の高熱、いずれも日本にいた頃では経験のないしつこさだった。夏風邪が一月ほど治らず、やたら咳き込んでいた。国慶節帰国から戻ったら、またもや風邪にとっ捕まった(熱こそ出なかったけれど)。そして今回の、結局原因の分からないままの高熱。
 免疫力が落ちてる。あるいは日本人に免疫のない菌が存在するのか? とにかく、このあたりは、めったに雨も降らず、空気が乾燥しきっている。僕はそれほどでもないが、乾燥肌でそこらじゅうが痒くなるというのはよく聞く。喉もやられやすい(現にいままた喉がいがいがする)。一種の風土病なのかな?
 
 さて今回の経験が元になって、今年の三題噺が出来上がった。でもそれは7月のお楽しみ。高熱の最中に『復活の日』を読んでたことだけ、ここに記しておこう。
 
2011年 1月25日

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