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チンタオ便り
14回目:チンタオから遠く離れて(日本再発見の記)

堀州美安


 
 2011年7月の15日(金)に青島を後にした。
 一日置いて17日(日)は星群祭だ。
 それに合わせての帰国とも言えるのだが、実は中国完全撤退の日であったのだ。

 それからほぼ五ヶ月が過ぎた。
 そろそろ何か書かなければな…と思いつつ、少し書いてはさぼり、少し書いてはさぼりしているうちに、年末に突入してしまった。さあ、気を引き締めて14回目を完成させよう。

 中国に渡って、いつの間にか2年と数ヶ月が過ぎていた。長いのか短いのか、正直客観的な評価はできない。日本での2年ちょっとなんて、何してたの?って感じで飛び去っていったものだけど、そういう意味では中国の2年ちょっとは長かった(濃かった)、とはいえる。
 
 “完全撤退”――なんだか言葉は大層だけど、要するに中国で仕事をすることを、とりあえず止めたということ。理由はまあいろいろとあるわけですが、家庭の事情なんて読むほうも退屈なだけだろうから、思わせぶりにしておいて、今回はこの五ヶ月ほどに感じたことどもを書き連ねてみよう。

 何よりまず日本再発見の記。
 ああ日本だなーと思う第一は何だと思いますか?
 いろいろあるけど、何より交通マナーの良さです。
 横断歩道で車がピタッと止まってくれる。安心して道を渡れる。信号のあるなしに関係なくだ。
 中国ではこんなこと期待しようもなかった。
 右見て左見て、もう一度右見て…なんてことしてたらいつまでたっても渡れない。
 歩行者用信号のある横断歩道だってまったく油断できないのだ。右折車、左折車、ぼさぼさしてる歩行者は撥ね飛ばして当然という勢いで曲がってくる。まったく避けようという意思が感じられない。100%車優先だ。
 この2年ちょっとで身に付いたことといえば、まず何よりこの“車を避けて路を渡る術”だったのかもしれない。(予定では中国語が何より身に付くはずだったのだけれど……。)
 ほぼ半年置きに一時帰国したおり、友人たちとの飲み会、次の店へとだらだら移動する。みんなは、信号は見ているが、車など存在しないかのようにふらふらとゼブラ・ゾーンへと足を踏み出す。「そんな渡り方してたら、中国でなら三度はひき殺されてるで!」きまって僕はそう言ってたような気がする。
 いちおう中国の名誉のため(?)断っておくが、信号を無視するわけではない。赤側の直進車は止まるが、青側の右折・左折の車はスピードを緩める気などまったく見せず、歩行者を蹴散らすように突っ込んでくる。(念のため言っておくが、中国での車は右側通行。)だからなのか、歩行者も信号・横断歩道おかまいなしにどこでも渡る。
 さすがに、都心部ではマナーらしきものも感じるけれど、信号のない所で横断しようとしている日本人はすぐに見分けが付くようになった。まさに“右見て左見て、もう一度右見て”が染み付いているので、いつまでたっても第一歩が踏み出せないのだ。
 中国の若い子たちから見ても、そんな日本人はきわめて危なっかしく映るとみえ、いっしょに街に出たときは、必ず渡り方を指南されるのだった。そのおかげもあって、中国式横断術はほぼ免許皆伝の域に達したのだった。
jiaozhou

 日本再発見その2。
 「次に到着予定の新快速は約5分遅れる見込みです。」
 おなじみJRの遅延アナウンスですね。こいつに初帰国のおりに遭遇したから、妙に印象に残っている。
 理由はいろいろ、異常音、急病人、人身事故、等々。まあ人身事故なら5分ではすまないけれど、たかだか5分くらいどうなんだと思ったものだ。中国が時間にルーズだというわけではないけれど、少なくとも15分くらいまでなら誤差(楽々セーフ)の範疇だろう。(実際は時と場合によってはとんでもない“誤差”もあるわけだけど。)
 他の国にこれほど長く滞在した経験がないので、あくまで感触でいうのだけれど、日本の分刻みの(時に秒刻みの)潔癖症(?)は異常ではないかと思ってしまう。そのことを中国から帰ってきて再認識したしだい。

 その2からの連想
 コンビニなどの、いわゆるマニュアル語は中国へ渡る前から気になってはいたのだけれど、日本という国は守りに入るといっそうおかしな言語がはびこるようだ。帰国まもなくの読売新聞でも河合祥一郎氏が「お訴え」なる奇っ怪な新語を俎上に上げられていたが、この美しさの対岸にある醜語を時の総理(誰でしょう?)が愛用しているのが我が国日本なのである。
 「お訴え」もたぶんマニュアル語の一種なのだろうか。守勢のときは何でもいいから頭を下げろ、そのためには、何でもいいから“お”を付けておけ。“お”さえ頭に付けておけば、へりくだっていることになる、悪しき日本の伝統?
 いやいや、日本語というのは、ある意味、便利すぎるのかなとも思う。日本語(学習)の障壁のひとつは複雑な敬語体系であることは確かだろうが、逆にいうと、日本人自身が敬語を都合よく乱用した結果がマニュアル語だともいえる。「お訴え」なども政治家用の醜いマニュアル語に過ぎない。ついでだから河合氏のコラムからもう少し長く引用しよう。
 「ノーサイドにしましょうとお訴えしました」――この日本語(?)をおかしいと思わない人は、日本人をやめたほうがいいでしょう。……などと書いて、おかしいと思わない日本人が大多数だったらどうしよう?
 
 日本再発見その3
 緑だ!
 その3にしたけれど、実はこれが体験的にはその1かもしれない。
 チンタオ空港を離陸してわずか3時間ばかり、国内旅行とたいして変わらない時間だけれど、日本列島が眼下に見え始めると、際立って“緑”が視野の隅々を占め始める。
 もちろんチンタオに緑がないわけではないのだけれど、緑の質が違うのだ。ひとことでいえば“潤い”、チンタオの緑は乾いているが、日本の緑は湿っている――いや水気をたっぷり湛えている、つまり潤ってると感じる。人口の島空港=関空でさえ、上空からはそのように感じながら降下していた。

 2年ぶりの日本の夏、果たして持ちこたえられるだろうか? 帰国時の最大の懸念であり、いくばくかの楽しみでもあった日本の夏。なにしろ、僕が2年と少しを過ごした町は、雨もめったに降らず、盛夏でもせいぜい30度を少し越える程度、気候だけならハワイにも匹敵しそうな快適さなのであったから。(ただし、冬は連日マイナス10度、でも寒さには人一倍強いと自認する僕にはたいして苦ではなかったが。・・・といいながら、何度も風邪にやられ、あげくに原因不明の高熱で入院までしたのも事実であるが・・・〔11回目参照〕)
 しかし、ハワイとは決定的に違って、やたら埃っぽい町だった。太陽が、明るすぎるお月様のように、しっかり輪郭を持って中天に浮かんでいるのだ。そんな空気のせいか、喉はやられるし、肌はかゆくなる。(2度目かの帰国時だったかに調達していった喉スプレーという薬は今も癖になって手放せない。)
moonsun

 で、日本の夏だが、帰国当初は、確か戻り梅雨だかで思ったほどでもなかったように記憶するけれど、じわじわとお馴染みの猛暑が鎌首をもたげてきた。やはり暑い。きりっと冷えたビールがなければやってけない!
 実は、チンタオではビールは冷やさないで飲むのが一般的。不氷的(ブービンダ)という。(ちなみに氷は中国語では二水偏に水と書く。)お腹をこわすからというのが冷やさない理由だが、僕もすっかり常温ビールに慣れっこになっていた。帰国するたびに冷えすぎたビールに抵抗を覚えたほどだ。
 でも、やはり、日本の夏は冷やさずにはおれない。のどごしの快感、これぞ日本の夏、日本のビールである。これも日本再発見といえるかな?
 緑で迎えてくれた二年ぶりの夏もとっくに過ぎ、二年ぶりの紅葉も半ばは散り、二年ぶりの年賀状と正月の準備をしなければならない季節になった。
 で、日本の冬、ビールは冷やさないで飲んでいる。

 さて、「チンタオ便り」、ずいぶんさぼってしまったけれど、またぼちぼち続けていこうとは思っているのです。書き残した面白いエピソード、逆に日本からみてこそ気付くこと、いやいや「北京にも秋にも関係がないから、あえて『北京の秋』と名付けた」というボリス・ヴィアンにあやかって「青島の春」でも書こうか。
 ご愛顧のほど、おん願い奉りまする。

2011年12月21日

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