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チンタオ便り
9回目:初めてのひとり旅

堀州美安


 今年の星群祭に合わせて帰国したいな・・・と思って、日程を確認するためネット検索した。
 [seigun online]にはまず繋がりっこない、でも誰か第三者が情報を流しているに違いないという期待だったのだが、なんと不思議なことにスパッと何の支障もなく[seigun online]は表示されたのだ。ついでに言うと、僕の「易経への道」とも数ヶ月ぶりに再会できた。
 この原稿を書いているたった今も正常に繋がっている。
 まったく中国のネット検閲の仕組みは摩訶不思議である。

 で、結局、海の日連休に合わせての帰国は無理で、八月の盆休みに帰る予定なのではあるが(もちろん中国には盆休みなんてない)。

 で、で、本日のお題は初めてのひとり旅である。
 端午節の三連休を利用して香港へ行ってきた。(五月五日、日本では子供の日、でも中国では旧暦の五月五日。)6月14〜16日にかけてである。
 
 いまさら香港旅行記でもあるまい・・・ではあるのだけれど、ちょっと待ってほしい。関空からでも、成田からでも、ましてセントレアから行ったわけでもないのだ。中国は山東省、青島空港から深セン経由で“入国”したのだ。
 まさに、1997年返還から10年以上も経つけれど、実はまだまだ“外国”であったという体験記である。
 青島から香港へ空路で行くには、香港直行便と、深センまで飛んで陸路または海路で香港へ入る方法がある。今回は深セン空港からバスに揺られて“入国”する方法を選んだ。
 深センのセンは土偏に川と書くが、日本語の漢字にはない。百均物資の町としての紹介記事を僕は覚えていた。とはいえ、今回の小旅行では、深センという地名ではあるが、深入りしている余裕はまったくない。実は香港のホテルで家内と落ち合う段取りになっていたのだ。
 深セン空港着は予定通り1時半、何はさておきバス停を探さねばならない。いや、その前にタバコを一服すいたい。青島空港ではマッチも没収されたから火がない。セブンイレブンがある。さっそくレジの子に「有没有(ようめいよう)ライター?」とジェスチャー混じりでたずねて、使い捨てラーター、GET!
 一服して次は両替。香港の通貨は元ではない、HKドルである。当面必要になりそうな200元くらい両替しておこうと思って窓口へ行くと、今はやってないからDブロックへ行けという。とりあえず英語が通じたので、半ば安心して指示された方向へ行く。中国銀行のブースが見付かったので、チェンジを申し込むと、小額は駄目と断られる。まあいいか、香港に着いてからでも両替くらいできるやろ・・・と、バス停を探すことにした。
 ところがところが、英語が通じるのはいいのだけれど、教えられたとおりに行っても嘘ばっかり。2階に行け、あっちに行け、こっちに行け、最後に確認したのが結局1階、ようやくバスに乗れた。

 およそ75分、というのはあらかじめ調べてあった。ただ、途中“国境”越えがある。そこでどれだけの時間を取られるのか? こればかりは行ってみないと分からない。
 この三日間の天気予報はずっと傘マークが付いていた。雨こそぎりぎり堪えていてくれるが、ムシムシと汗ばむ。低湿度の青島から来ると、まるで梅雨時の日本に帰ってきたみたい。バスの窓から見えるハイウェーの風景も、故郷の植生を思わせる。じめじめしていても、山に囲まれた緑濃い風景、こんなところが結局アイデンティティの正体なのかもしれない。
 そして“国境”に着いた。
国境

 まさにイミグレの関所、空港以上にたいそうである。少なくとも面積は。バスを降りて、テクテク歩いて、まず第一の関所。出国手続きである。ここで、それなりの行列に参加して、再びテクテク、第二の関所=入国手続きにまたもや行列。
 旅の前に経験者から心得は聞いていた。バスのナンバーを控えておくように! つまり、イミグレの二つの関所を越えたら、乗ってきたバスが待っているからと。
 しかししかし、探せど探せど、目指すナンバーのバスは見付からない。
 メモを見せて、このバスはどこにあるか?と頼りない英語で聞きまくる。置いてかれたらどうしよう? 恐怖である。
 結局あれに乗れと教えられたのは、乗ってきたのとはまったく別のバス。ともかく置いてきぼりは食らわずに済んだらしい。
 あとから冷静に考えて分かったことだけど、人によってイミグレで捕まる時間は違う。窓口によっても早いの遅いのあるし、だいたい見ていると白人系はごちゃごちゃ時間食っている。深セン発と同じバス、同じ乗客にこだわっていたら、効率悪くて仕方ない。そのうえ、香港は日本と同じ(というより、英国と同じ)左側通行、ハンドルの位置からして違うのだ。(ちなみに中国本土は車も人も右。)
 おそらく、教えてくれた香港経験者の情報は古かったのだろう。
 
 こうしてイミグレも無事通過し、一路香港へとバスは再出発したのであった。
 ホテルはバス停から歩いて5分、家内から聞いていた。バス停の名前は佐敦、英名はJORDAN、窓外の表示に目をこらして佐敦路の文字を認める。停止したバス・ストップで、運転手にメモを見せて確認、無事ホテルの最寄り駅で降車に成功したのであった。
 しかし、ここからがまたまた四苦八苦、道を聞きまくっても嘘ばっかり、ようやく5人目あたりで正解にありついたのであった。
 3時台には着くだろうと思っていた目論見は、結局あれやこれやで5時になってしまった。でもまあ、ともあれ、無事に行って帰ってこれたのだから、大いに良しである。

 香港に着いてからの話はありきたりだから省略、スターライト・アヴェニューのブルース・リー像でお茶を濁しましょう。
ブルース・リー

 ただひとつだけ、蛇足的に付け加えておこう。香港がまだ正式には返還されていないもうひとつの証拠、ここではまだ“旧漢字”が使われているのだ。いわゆる“簡体字”ではなく“繁体字”が道路標識でも標準なのであった。

2010年6月27日

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