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SFマガジン思い出帳 第13回

雫石 鉄也







1974年7月号 No.187

 この号の掲載作。
    ボール半村良
    マグワンプ4  ロバート・シルバーバーグ
    白魔呪縄文  荒巻義雄
    神狩り山田正紀

 この号の43ページは「人気カウンター」のページ。その紙面で「人気カウンター」打ち切りの「お知らせ」が載っている。この企画は小生は好きで、毎号必ず投票していた。まことに残念であった。読者の好みをダイレクトに編集部に伝えるという意味で、意義のある企画であった。
 そこで、小生、34年ぶりに、個人的に「人気カウンター」を復活させて拙ブログ「とつぜんブログ」で公表している。しかし、読み切りの短編限定の上、投票者が雫石鉄也一人なもんで、不完全極まりない。ここは、ひとつSFマガジン現編集部にお願いして、「人気カウンター」の復活をぜひともお願いしたい。
 61ページに「幻想と怪奇」の広告が掲載されている。うわっ、懐かしいな。こんな雑誌が昔あったな。毎号、買うことは買っていた。仔細に読まなかったが、ちらちらと眺めて、おもしろそうなとこだけ読んでいた。
 この号にて山田正紀がデビューした。衝撃を受けると同時に、うれしかった。やっと「ぼくたちのSF作家」で出てきた。
 小生が初めてSFを読んで(当時はSFという言葉も知らなかった)「ああ、ぼくはこんなお話が好きなんだな」と意識したのが、小学校の5年か6年のころだった。確かハインラインのジュビナイルだったと思う。その時こそ小生がSF者となった瞬間ではないだろうか。
 初めてSFマガジンを買ったのは1967年。それ以来ずっと、この号で山田正紀が出てくるまで、読んでいたSFは、日本では、小松左京、星新一、筒井康隆、眉村卓、光瀬龍、海外ではクラーク、アシモフ、ハインライン、ヴォクトといった作家たちのもの。もちろんこれらの諸先輩方は小生より年上である。
 小生たちは「おじさんたちのSF」を(おばさんはいなかったと記憶する)ひたすら消費するだけであった。SFマガジン創刊が1959年。それから15年を経て、初めて「ぼくたちのSF作家」が出てきたわけ。これより2年前1972年に田中光二がデビューしているが、田中氏は小生より、少し年上。山田氏はまったくの同世代。当時、この山田氏のデビューによって星群同人諸氏の中には、大いに刺激された人たちもいた。
 ともあれ、この号の山田正紀のデビューによって、SFは初めて「ぼくたちのSF」になったといえるだろう。そういう意味でもこの号は記憶に残る号である。 
 

(2008.5)

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