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SFマガジン思い出帳 第15回

雫石 鉄也







1970年1月号 No.129

 掲載作
    会合 小松左京
    月の神殿 日下実男
    出口なし 福島正実
    訣別 光瀬龍
    割れた鏡 小松左京
    その名は悪魔 ヘンリイ・カットナー
    造物主たち ヘンリイ・スレッサー
    なんでも箱 ゼナ・ヘンダースン
    ホームズ=ギンズブック装置 アイザック・アシモフ
    ボーイフレンドの名は エイヴラム・デビッドスン
    クーデカー 豊田有恒

 表示は1970年1月号だが、発売は1969年11月である。この年の7月にアポロ11号が月に着陸。人類が始めて月に立ったわけ。
 月面着陸の様子は宇宙中継されたし、もちろん当時のマスコミは大騒ぎ。と、なると、SFマガジンとしては、ほっておくわけにも行かず、月の特集をこのbP29号で企画した。しかし、この4ヶ月の微妙なズレはいったいなんだったんだろう。
 特集企画はフィクション特集とノンフィクション・コラム特集の2本で構成されていて、冒頭の掲載作のうち、「会合」「月の神殿」「出口なし」「訣別」「割れた鏡」の5編が月にまつわる短編。
 フィクション特集は、月―その過去・現在・未来 と銘打たれ、「会合」=創成期、「月の神殿」=開発期、「出口なし」=殖民期、「訣別」=独立期、「割れた鏡」=終末期、と、人類から見た月のそれぞれの年代を、SFでシュミレーションしている。これはあくまで、人類から見た月であって、月にとってはなんの関係もない。月はただあそこに存在しているだけ。
 ノンフィクション・コラム特集は、英国サイエンス・ジャーナル誌からの転載で、「月の植民地」「月の資源」「月の実験室」の三つのコラム。
 この号の編集前期で、M・M氏が、ある文芸評論家の言葉を紹介していた。「現実はついに空想に追いついた。月はもはやSFの舞台ではなくなった」
 この言葉にM・M氏(森優)は賛成している。さらに森氏は「遠からず、月を舞台にした現代小説も登場することになるでしょう」といっている。
 あれから40年。1972年にアメリカのアポロ計画が終了してから、人類はだれ一人月にはいっていない。2008年の今も、月を舞台にした小説はSFだ。
  小生は、月が開発され、恒久的な基地ができたとしても、月を舞台にした小説はSFであり続けると思う。こういう論法で行くと、そのうち火星もSFの舞台でない。木星もSFの舞台ではない。極端なことをいえば、宇宙全部がSFの舞台ではない、という所まで行ってしまう。
  既知の空間を舞台にした小説はSFではない。と、いう考えには小生は賛成できない。知り尽くした場所でも、見方を変えれば、未知の場所だ。別に月や火星の舞台を求めなくても、自分が住んでいる、この街も、視点を変え、考え方を変えて、見直せば、未開の荒野が広がっている。
  世にSFのタネはつきまじ。 
 
 

(2008.7)

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