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SFマガジン思い出帳 第18回

雫石 鉄也







1971年2月 創刊11周年記念特大号 No.143

この号の掲載作。

BS6005に何が起こったか 
小松左京
餌鳥夜草子          
光瀬龍
小鬼             
星新一
脱走と追跡のサンバ      
筒井康隆
かれらと私          
眉村卓
悪戯             
平井和正
アラビアのロレンス再び    
豊田有恒
コンピュータ惑星       
石原藤夫
超すに超されぬ・・・     
福島正実 
東京未来計画         
野田昌宏
鳥はいまどこを飛ぶか     
山野浩一
自由の声           
石川喬司
白壁の文字は夕陽に映える   
荒巻義雄
およね平吉時穴道行      
半村良


 ご覧のように、当時の日本SF界オールスター総出演といった感じ。SFマガジンは昔は、その年の最後に出る号、つまり12月25日発行の号(翌年の2月号)は、創刊N周年記念特大号として、通常の号より厚い目の号を出していた。いつごろからこういう企画がなくなったのだろう。また復活してもらいたいものだ早川さん。
 この1971年2月号のM・M氏の巻頭言は以下のようなものであった。
以下、SFマガジン同号より引用。

 青天のヘキレキの如くおこった三島由紀夫割腹事件は、幕末の黒船にも似て、見せかけの泰平ムードに浮かれる昭和元禄の世間に、冷水を浴びせました。私にとっても、近ごろこの事件ほど、人間の生き方について深く考えさせられたものはありません。でも古人いわく、凶事語らず、とか。すでにあらゆるマスメディアを通じてさまざまな論評や憶測がいいつくされていることですし、ここでは何もいいいたくありません。敢えて一言いわせてもらえれば、氏の思想と行動に対して冷静かつ正しい評価を下すには、他の多くの歴史的事件と同様に、長い年月が必要なのではないか、ということです。

以上、引用終わり。
 1970年11月25日の三島由紀夫の自衛隊乱入事件のことである。この日小生は父親が経営する工場にいた。工場は兵庫県西宮市北部の下山口町、神戸市の有馬と三田市の中間にあった。
 昼前午前11時ごろだった。ハンダ付作業が完了した進相コンデンサーをマツダ・ボンゴに積み終わり、オヤジの指示で、三菱電機三田工場に納品に行くところだった。エンジンキーをひねり、ギアをローに入れたとき、ラジオが臨時ニュースを報じた。車を国道176号線に乗せ、北へ向かって走りながらニュースを聞いた。
 作家の三島由紀夫が自衛隊市谷総監部に乱入、自衛隊に決起を促す演説をした後自決した。小生がこのニュースを聞いて、まず思ったのは「もったいない。残念」
 三島由紀夫はSFの理解者であった。宇宙塵のTOKON1記念号にも祝辞を寄せている。その大きな理解者を失って、残念というのがSF者たる小生の思いであった。
 あれから38年経った。M・M氏は、この三島の行動に対して冷静かつ正しい評価を下すには、長い年月が必要と書いているが、38年という年月はM・M氏がいう長い年月なのだろうか。それとも小生が知らないうちに正しい評価がなされてしまっているのだろうか、はたまた、未だ正しい評価はなされず、更なる年月が必要なのだろうか。小生自身は、この事件をどう解釈していいのか未だに判らない。
 ただ、これだけはいえる。三島が訴えた自衛隊の、この国での立場は大きく様変わりした。 
(2008.10)
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