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SFマガジン思い出帳 第37回

雫石 鉄也







1969年6月号 No.121

掲載作
        
アマゾンの時代(前篇)
峯岸久訳  ジョン・ウインダム
哀れな狩人 
伊藤哲訳  ブライアン・オールディス
暗闇への間奏曲 
平井和正
命令は絶対なり 
千種堅訳  リーノ・アルダーニ
信念 
伊藤典夫訳 アイザック・アシモフ
地球の汚名(最終回)
豊田有恒

 この号では「信念」が面白かった。科学者でありSF作家のアシモフの、いわば私小説と読めないこともない。空中浮遊の能力を身につけてしまった主人公の物理学者。だれも信じない。気がおかしくなったといい、医者にかかることをすすめる者。休暇をとれという者。奇術だという者。
 主人公は著名な学者に手紙を書いて、空中浮遊の科学的な解明を依頼する。ほとんど無視される。そこで彼は有力な物理学者が出席する学会に出て、最後の手段に出る。アシモフの皮肉なユーモアがただようSFコメディ。 
「哀れな狩人」タイムマシンに乗って恐竜狩り。よくあるネタだが、作者がオールディス。そんな素直なもんじゃない。なんとも皮肉な話。
「暗闇への間奏曲」サイボーグ特捜官シリーズ。今回の主人公は特捜官ではなく、敵方の「組織」サイドの殺し屋サイボーグ。少女型ロボットに正体を知られた主人公は「彼女」を殺せるか。
「命令は絶対なり」イタリアのSF。コメディSF。SF雑誌の編集部。どうも火星人がまぎれこんでいるらしい。彼らは本当に火星人か。と、いいつつも、あんたは何星人だ。実は私は・・・。
 この号に山野浩一の評論「日本SFの原点と指向」が掲載されていた。なんともカチンとくる評論であることか。「そんな偉そうにいうのなら自分で書いたらどうや」こういうことは評論家に絶対いってはいけないこと。判っている。判っているがいいたくなる。これを読むと。
 上から目線で日米のSF作家を順々に槍玉にあげて行く。
 小松左京=あまりに進歩的すぎ。筒井康隆=演者の主体性は台本に対してのみしか発揮されない。眉村卓=テーマのあつかいが安直。豊田有恒=軽々しい借り物。ハインライン=安直な現実主義者。アシモフ=思想音痴。ヴォクト=通俗小説の生命である風俗の反映すらない。ブラウン=少年小説のロマンチシズムから一歩も出てない。
 いいたい放題である。山野によれば星新一と光瀬龍だけがかろうじて合格らしい。ようは日本SFはアメリカSFという建て売り住宅を買って改造しただけらしい。
 山野浩一の作品は「X電車で行こう」しか知らない。小生が知らないだけで、どっかですごい作品を書いているのだろう。ともかく、しゃくにさわる評論であった。荒巻さんが怒ったのも無理はない。こんな評論、SFを愛する者ならだれだってハラがたつ。山野浩一ってそんなに偉い人だったのだろうか。確か「NW-SF」なんていう雑誌を出していたが。


(2010.5)
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