戻る

とつぜんコラム No.7

雫石 鉄也


 2001年も終わった。結局ディスカバリー号は木星へ行かなかった。宇宙ステーションへの定期船は就航していないし、月面基地も建設されていない。あの映画で描かれた2001年はついに我々のところには訪れなかった。あの「2001年」は未来の「2001年」であって、我々がすごした2001年とは違ったのだ。
 小生はあの映画を、今はなき大阪は梅田のOS劇場でシネラマで観た。映画が終わったあと感動のあまり腰が抜けて席を立てなかったのを憶えている。あれからもう30年あまりの年月が経った。この30年という年月は世界をこういう世界に押し流してきた。どういう世界かというと、今みなさんがおられるこういう世界である。よくご存じのこの世界が現実である。
 また、昔小生が子供の頃によくながめて楽しんでいたのが小松崎茂や長岡秀三のイラス卜。ポクが大人になるころは世の中こんなになるのかな。自動車は車輪のない浮遊式のやつで、都市内の移動は動く歩道で、人々の足代わりは一人乗りの空飛ぶプラットホーム。胸をワクワクさせたものだ。
 で、このころの“夢”で本格的に実現したプロジェクトは、東京大阪を三時間で走る夢の弾丸列車と、本州と四国を結ぶ夢の架け橋。この二つはその通りに実現した。特に須磨の海岸に海水浴に行った時に見える明石大橋は、昔のイラストの通りでうれしくなってくる。しかし、この二つ以外の夢は実現しなかった。
 昔見た夢の未来は結局夢でしかなかったわけだ。21世紀の現実のこの世界は、あい変わらず紛争・戦争がたえず、治らない疫病がまだまだあり、都市の行政担当者は交通渋滞とゴミ処理の問題で頭をかかえている。
 昔見たバラ色の未来とは、人問がやる仕事で機械ができる事は機械にさせて、人間は人間にしかできないことだけをやって余った時間を創造的なことに使う。したがって人間は労働から解放されて幸福になるというものだった。ところが人間は考えられていたほど幸福になれなかった。なぜか。それは労働から開放されるとメシが食えなくなるから。
 昔は地球の資源は有限であり、社会のパイの大きさも限りがあってみんなには行き渡らない、という考え方はあまりなかった。だから労働から完全に解放された人々のメシのタネという視点はあまりなかった。社会はそういう人たちの生活をも保証できると見なされていたわけ。しかし現実は社会のキャパシティはそんなに大きくなかった。
 諸行無常。人類の文明も永遠には続かない。バラ色の未来の夢というのは、もしかして過去の中にのみ存在し、いつまでたってもこないかもしれない。
 小生は趣昧で料理をする。小生のような貧乏人は「どっちの料理ショー」で使っているような賛沢な素材をふんだんに使うわけにいかない。コープやダイエーなんかで買ってくる普通の野菜や肉で料理する。で、この普通の素材の持っている可能性をどこまで引き出してやるかが腕の見せ所である。
 未来は無限ではない。この限られた未来の持っている可能性を人類はどこまで引き出せるだろうか。

(2002.1)

inserted by FC2 system