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とつぜんコラム No.16

雫石 鉄也


 中座の火事の延焼で大きな被害を受けた法善寺横丁が元どうりになるらしい。消防法の関係で元の風情のある横丁に戻すのは難しいといわれていたが、たいへんに喜ばしいことだと思う。
 法善寺横丁は大阪を象徴する場所であり、長い歴史と伝統を持ち、昔から数多くの人々に親しまれ、愛着をもたれた、大阪を色濃く味わえる場所である。
 大阪という風土を愛する人にとって、法善寺横丁が消滅することは堪え難いことだろう。小生は神戸人で大阪人ではないが、この横丁で飲んだことは何度かあり関西人として復活を強く願っていた。
 しかし、復活といっても元どおりに復活しなくては意昧がない。この横丁が消防法どおりの4メートルの道幅を持ち、石畳の歩道の両側にしゃれたイタリア料理店やオープンカフェが立ち並ぶ小ぎれいなプロムナードなんかになったら、それは法善寺横丁とはいえないのではないだろうか。
 というわけで、この場所に思い入れのある作家や落語家などいろんな人たちが法善寺横丁復活を呼びかけた。マスコミもその活動をたびたび報道し、論調としては横丁を火災前のかたちになることを望むように見受けられた。
 で、元通りになるらしく大変に喜ばしいことだ。それはそれとして、ここでちょっと考えてもらいたい。
 火災にあったのが大阪の法善寺横丁ではなくて、どこか地方の県のなんでもない小都市の駅の裏の小さな横丁の居酒屋やスナックだったら元通りになっただろうか。
 この凸凹横丁の飲み屋にも常連さんはいる。駅の向こう側の鉄工所の従業員。新間販売店の店員。小学校の先生。町に一軒しかない書店のおやじ。県道を工事している労働者。川の北側の田圃のお百姓。こういった人たちが一日の労働の疲れを癒しにこの横丁に飲みにくる。ほとんどがこの町で生まれ育った人たちだ。ここの飲み屋は彼らの父親の時代からある古い飲み屋だ。この駅裏の横丁にたっぷりと思い入れがあり愛着があり、この横丁は彼らの故郷そのものだ。
 この横丁が火事で燃えてしまった。常連たちは嘆き悲しんで、横丁が元通りになることを強く願うだろう。しかし、マスコミはこの地方の県のどこにでもある小さな町の急行も止まらない駅の裏の飲み屋が数軒燃えた小さな火事を大きく報道するだろうか。そして、この無名の常連たちが、この凸凹横丁の元通りの復活を願えば行政は聞き届けたであろうか。消防法のかべをなんとかタリアーして元通りになるだろうか。
 法善寺横丁は元通りになって凸凹横丁はなぜ元通りにならないのだろうか。



(2002.10)

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