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とつぜんコラム No.25

雫石 鉄也


 就職した。昨年の11月に前の会社を退職してから半年間の浪人生活だった。長かったような、短かったような。思えばこの半年間ある意昧で、失業者のくせに何をいう、といわれるかも知れないが、充実した半年間だった。本を読めた。原稿も書けた。毎日散歩もできた。あたりまえのことだが失業者というのは会社員より自由時間が多い。この自由時間をもてあましている失業者が多いと聞く。ひどい人になると失業したということを家族に知られたくなくて、朝、いかにも出勤する風情をよそおって家を出て、パチンコ、映画喫茶店で時間をつぶし、なにくわぬ顔で帰ってくる、というおとうさんがおるらしい。哀れな話である。小生の場合なにやかやとやることが有ったので結構時間がつぶれた。
 で、どういう会社に再就職したかというと、某製薬会社の宣伝広告部門でコピーライターになった。実は小生は前の会社の前はコピーライターをしていて大阪の広告制作プロダクションを何社か渡り歩いていた。25年ぶりの広告業界復帰である。何が一番変わったかというと原稿の書き方。前は2Bの鉛筆で大きな原稿用紙に大きな字で原稿を書いていた。今はパソコンで書いている。パソコンだと右手が黒くならないので良い。それにしてもワードは使いにくいな。この原稿は大昔のワープロ専用機「文豪」で書いているがワードより文豪の方がよっぽど使いやすい。なんでこんな使いにくいワープロをみんな使うのやろ。ふしぎだ。
 リストラされ実際に失業者になって分かったことを書く。中高年の再就職がむつかしいといわれているが、実際の話、本当である。ハローワークは求職の人であふれている。案件があってもほとんどが45才以下。50才以上でもOKはめったにない。失業初心者のころは週に1回ぐらいハローワークへ行って後はのんびりしようと思っていた。次の会社はすぐ見つかるやろと。これがとんでもなく甘い考え。就職支援会社に登録して再就職指南を受けていたがその甘い考えはすぐに否定された。ハローワークは可能なかぎり頻繁に行きなさい。履歴書は歳の数だけ書くことを覚悟しておきなさい。20社応募して面接までこぎつけるのは1社。ウソやろ。本当だった。で、週に3回ハローワークへ行っていた。月曜は西宮、伊丹、尼崎。水曜は神戸。金曜は大阪。金曜は就職支援会社にも行った。求人情報の検索はタッチパネルのコンピューター検索。後になって分かったが安定所が同じ管内だと情報が同じ。午前神戸の灘へ行って午後三の宮へ行ったりしていた。灘も三の宮も同じ神戸の管内だから情報は同じ。無駄なことをしていた。昔は掲示板に紙を掲示していたので各安定所で情報が違っていたそうだが今はコンピューターなんで同じだ。
 ハローワークへ行っても収穫なしの日が多々有った。それで正式に求人活動をしていない会社に私を雇ってくださいとダイレクトメールを出した。就職支援会社が持っている情報、会社四季報、帝国データバンクの情報なんかでこれはと思う企業の社長あてに片端から履歴書と返信用封筒を同封して手紙を書いた。連絡なしの所もあった。こちらが恐縮するぐらい丁寧に読んでくださりお返事をくださった社長さんもおられた。1社だけわざわざ電話までくださった会社もあった。
 咋年11月に退職。今年1月7日に本格的求職活動をスタートした。162日間。44社に履歴書をおくった。9社に面接に行った。上出来だと自分では思っている。


(2003.7)

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