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とつぜんコラム No.27

雫石 鉄也



 もうすぐ夏休みも終わり。子供の頃、つくつくほうしが鳴きだすこの季節になると、あーあ、今年の夏も終わるな、ともの悲しくなったのは小生だけだったろうか。ただし小生の場合、八月の後半になっても宿題が沢山残っているというアセリも混ざった嘆きでもあるが。小生の子供を観察すると彼はどうやら、小生が感じたような夏の終わり特有のメランコリックな感情は持ってないようだ。
 今の小学校も夏休みの宿題が出る。小生の子供の時より少ないが出ることは出る。夏休みの友(ドリル)、自由研究、読書感想文などが宿題だ。ウチの子は要領が良いほうで、7月中に手際よく片付けてしまう。で、この中で彼が一番苦労しているのは読書感想文。本好きの子で漫画、小説、ゲームの攻略本など、ほっといても沢山の本を読んでいる。ただしSFは自主的に読まない。読めといえば読む。スペースオペラは嫌いと宣言しおった。どうもSFよりミステリーが好きそう。
 こんな子でも読書感想文は苦労している。小生はこの読書感想文とかいう小学校の課題は百害あって一利なしと思っている。だいたいこの課題がどういう教育的効果をねらったものかよくわからない。子供の読書の機会をふやして読書の習慣を身につけさせようというんだろうか。もしそうなら全く逆の効果を生んでいる。読書きらいの子を増やしているだけだ。
 本を読む子はほっといても読む。彼らは純粋に、本を読めば面白いから読む。読書感想文を書かなければならないとなると読む気がしないらしい。当然だろう。「本を読んで感想を書きましょう」とプリントには書いてある。そして枚数制限があってだいたい原稿用紙1枚から3枚。なぜこんな分量がいるのだろう。そもそも本を読んだ感想は2種類しかない。「面白くない」「面白い」の2種類だ。これに関して色々反論もビざいましょうが突き詰めればやはりこういうことだと思う。で、これだと5文字あるいは4文字ぐらい書けばよい。原稿用紙に「面白くなかった」とだけ書いてあとのスペースを白いまま提出するわけにいかないので、何を書こうか苦しむわけ。で、読んだあと感想文を書きやすい本を選んで(別に読みたい本ではない)感想文を書くことを意識して本を読む。本を読んで感想文を書くのではない。感想文を書くために本を読むのだ。そして読んだあとは苦痛しか残らない。これでは読書嫌いの子供を大量生産しているだけ。
 ではどうすれば良いか。まず課題の名称がだめ。「読書感想文」とあるから上記のような弊害が出る。「読書紹介文」とするべきだと思う。「感想文」だと評論を求めている。これでは読む子が負担を感じて当然。「紹介文」だとブックレビューを求めることになる。指導方法も「本を読んで感想を書きましょう。その本のどこに共感を感じましたか思ったままを書きましょう」ではなくて「夏休み中に面白い本を見つけましょう。そしてその本を友だちに紹介してください」とする。面白い漫画、面白いゲーム、面白い映画、面白い本を見つけて友だちに話している時の子供の目はいきいきしている。

(2003.9)

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