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とつぜんコラム No.31

雫石 鉄也




 2004年になった。小生たちは「2001年宇宙の旅」世代だ。青春時代にあの映画を観てしまって、強烈なインパクトを受けて、それが焼印のように刷り込まれてしまった。それほどあの映画は強烈な印象だった、といえるし、あの映画を超えるSF映画を今だ創れない世の映画作家が怠慢だった、ともいえるし、いつまでもひとつの映画に影響されている小生は進歩がない、ともいえる。ま、それはそうとして、小生たちの頭には「2001=未来」というパターン認識ができあがっている。ことしは2004年だから「未来」に三歩だけ足を踏み込んでいることになる。ちょっと奥へ進んだわけだ。で、小生がイメージしていた未来とは、小松崎茂→長岡秀星→真鍋博→「2001」となっている。このラインの延長線上に未来はあることになっていた。月面に恒久的な基地ができる。ロボットが労働するから人間は労働から解放される。未来とは明るく清潔で生活は便利になり人は幸福になれる時代のはずだった。このライン上の未来は明るく乾いていて無機的な未来ではないだろうか。 
 ところが現実にこうして「未来」に来て見ると、聞くと見るとは大違い。現実の「未来」はウエットで有機的な世界だった。月面には基地はできず。ロボットはできたが立って歩くのがやっと。いったいあの「未来」はどこにあるのだろう。なにが違ったのだろう。
20世紀人が考えた21世紀と実際に21世紀はなにが違うのだろうか。20世紀人が21世紀を考える時科学技術の進歩、文明のハード面のみを考えて、文明のソフト面を考えにいれていなかったのではないだろうか。人間一人一人の感情欲望希望絶望食欲性欲独占欲権力欲などといったものを計算に入れて考えていなっかたのではないだろうか。人間とは、腹を減らし異性とSEXしたがり人より多くの金を欲しがり他人の不幸は蜜の味でよその火事と事故と災害は大きいほど面白く自分だけ楽すれば良い生き物である。というデータを予想する時の計算に入れていなかったのだろう。1991年にソビエトが崩壊して社会主義国家という20世紀最大の実験は失敗に終わった。社会主義も人間を組織としてシステムとして考えて構築した理論だった。そこに人間一人一人の欲望や感情を計算に入れていなかったから失敗したのではないだろうか。
 21世紀も始まったばかりで少々気が早いが22世紀を考える時、
ここらあたりを頭に入れて考えると良いだろう。国家、地域、企業といった全体から個を考えるではなくて、個から全体を考えるべきだろう。国民一人一人が、社員一人一人が、市民一人一人が、何を考え何を欲しがっているか、何を嫌がっているかを、何をしたがっているか、考えてから22世紀という時代を考えるべきだろう。

(2004.1)

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