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とつぜんコラム No.36

雫石 鉄也





 少し前の新聞に乗っていた話だが、どこの県だったか忘れたが、県下の高校生を地元の企業に研修に行かせるとのこと。目的は高校生にサラリーマンを体験させてフリーターになる子を少しでも減らそうというもの。民間企業というものを知らない役人が考えそうなことだ。こんな企画は全くの無意味。いや、百害あって一利なし。フリーターを減らすどころか増やすだけ。こんな研修に行かされた高校生は一人もサラリーマンになろうとは思わないだろう。長年サラリーマンをやってきた小生はこう断定せざるを得ない。
 いったいサラリーマンの何を体験させようというのだろうか。サラリーマンとはようするに労働力を売って報酬を得て生活している人たちである。いささか黴臭いいい方だが、サラリーマンは無産階級[プロレタリアート]といえる。ようするに自分一人では何も生産できない人たち、なにも所有していない人たちである。親の遺産も無い。ものづくりの資金も設備も無い。特別な才能や技量もない。そういう人たちがサラリーマンといえる。こんなことをいうと、いや俺は違う、俺は技術者だ技術を持っている、俺は有能な経理マンだ、経理の腕一本で生きている、と反論されるだろう。しかし彼らとて会社なるものに所属している限りサラリーマンである。どこの組織にも属さず一匹狼の完全にフリーで仕事をやっておられるならばサラリーマンではないが。ともかくサラリーマンとは会社か同様の組織に属して賃金を得ている人たちと定義できるだろう。
 組織に属しているから当然、上司なる不可解な人種とつきあわざるをえない。この上司なる連中の存在がサラリーマンの幸福を大きく左右する。小生が契約社員で勤めていた痔薬屋のおやじは詩吟が好きで昼休みに強制的に詩吟の練習をさせられた。ことほど左様に上司の価値観が勤務時間中のいごごちに決定的な影響をおよぼす。また最近は能力給を採用して、頑張れば頑張っただけ給料を出すと称する企業が増えている。野球の打率、相撲の星勘定のように誰が見ても客観的に分かる数字で評価されるなら良い。しかし会社の仕事なんてもんは営業の売上などのごく一部を除けば、数字で評価が計れない。となると上司なる人物が評価を下すことになる。上司も人間なんだから当然好き嫌いもあるし感情もある。かような人間が給料の多い少ないを決めているのである。日本企業伝統の年功序列なら30年働いている社員は誰がなんといっても30年働いているのである。極めて客観的である。
 会社なんてもんは全くあてにならない。会社を守るため大勢の社員をリストラする。それも下から。会社の上の方から下から切っていくのである。会社をこういう状態にした張本人たちはぬくぬくと会社に居残っている。この連中の指示どうりに働いていた人たちが結局路頭に迷う。
 サラリーマンとはこういうもんである。このことを高校生たちが知ってサラリーマンになりたいと思うか。彼らには会社なんて不可解なもんに頼らなくても生きて行けるように、しっかりと牙を磨いてもらいたい。若者よ羊の群れに加わるな。狼となれ。
 

(2004.6)

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