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とつぜんコラム No.39

雫石 鉄也



 アテネオリンピックも終わった。17日間、まあ、楽しませてもらった。オリンピックといえば、東京オリンピックは1964年。小生は15歳。多感な少年時代であった。1949年生まれの小生は「日本は戦争に負けて貧乏だから」と親にいわれて育ってきた。その貧乏な日本でオリンピックが開かれる。そのころは素直だったんだな小生も。無性にうれしくて、わくわくしながらテレビにかじりついて、バレーボールや体操を見ていた記憶がある。この時の感動がインプリンティングされてしまったらしい。どうもオリンピックといえば無視できなくて、ついテレビを見てしまう。今回もそうだった。で、オリンピックにかまけているうちに阪神が6連敗してしまった。正直なもんで、オリンピックも終わりにさしかかると8連勝したが。
 いろんな人たちが金メダル獲得のプレッシャーをかけられていたが、一番強くかけられていたのが野球代表チームだろう。選手たちも、金以外はいらん、いうような口ぶりだった。で、結果はご承知の通り銅メダル。日本代表はキューバの影と長嶋茂雄の生霊に敗れたのだと思う。キューバを倒さなければ金は取れない。キューバさえ倒せば金が取れる。と、いうことでオーストラリアに足をすくわれた。油断というべきだろう。ようするにキューバ以外をなめていたわけ。実際には、日本の金取りを阻んだのはオーストラリアのウィリアムスだ。特に準決勝は後ろでウィリアムスが投げなければ松阪が好投していただけに日本が逆転しそうな雰囲気だった。あの時マウンドにいたのは東京ドームで巨人に逆転されたウィリアムスではなく、優勝に大きく貢献した去年のウィリアムスだった。なにはともあれ彼の好投に心から拍手を贈りたい。彼が福留や高橋をうちとると思わず手を叩いてしまったのは阪神ファンの悲しい性か。
 この野球代表チーム。オールプロだがドリームチームではない。数字だけを見ればもっと成績の良い選手もいるし、もっと実績のある選手もいる。広島の嶋や阪神の今岡が選ばれてもよかった。それが1チーム2人ずつという妙な悪平等で編成された代表チームである。それを長嶋茂雄という強烈なカリスマでもって強引に作ったチームなのだ。それが急病で倒れた。長嶋の代役ができる野球人なんていない。長嶋茂雄は長嶋茂雄にしかできない。と、いうわけで長嶋不在の長嶋ジャパンの指揮をとったのは監督未経験の絶好調男中畑。ベンチには長嶋の念がこもった「3」の日の丸と背番号3のユニフォーム。選手は口々に「長嶋さんのために金メダルを」まさに日本で病床に伏す長嶋茂雄の生霊がアテネに来ているような状態だった。
 代表的野球漫画「巨人の星」は長嶋茂雄の巨人入団シーンから始まった。日本のプロ野球を代表する人物を一人だけ選べといえば長嶋といっても異論はあまりないだろう。今回の日本代表の敗北(目標を達成できなかったからメダルをとっても負けだろう)は日本のプロ野球が新たな時代に(黄金時代になるか暗黒の時代になるか?)入った象徴だろう。過去の黄金時代の象徴的人物が長嶋茂雄だったのだから。
 ああ、ようけ長嶋の名前を書いてしまった。ちょっと中和させてください。村山。小山。江夏。田淵。吉田。三宅。遠井。掛布。バース。藤村。    
   
 

(2004.9)

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