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とつぜんコラム No.46

雫石 鉄也




 愛知万博「愛・地球博」が開幕した。主催者の予想より大幅に少ない入場者だそうだ。別になんの根拠もないが、関係者の方々には非常に申し訳ないが、このイベントは失敗すると思う。ま、このへんは関西人としての小生の身びいきも多分に含まれているので、そのへんは差し引いてお読みいただきたいが-。だいたい日本でやる博覧会というものは関西でやってこそ成功する。70年の万博、神戸のポートピア博、大阪での花博、と、関西でやった博覧会はことごとく成功している。それに比べて関西以外でやった博覧会、筑波の科学万博、沖縄の海洋博などは成功とはいいがたい。東京でやるつもりだったらしい世界都市博にいたっては知事が替わったとかで、開催すらされていない。
 それにしても愛知万博である。なにが悪いかというと、ネーミングが悪い。「愛・地球博」よくもまあこんな恥ずかしくて照れくさいネーミングをつけたもんだ。小生も行けたら行きたいと思っているが、例え行ったとしても「ワシ愛・地球博に行ってきた」とは、とても人にはよういわん。小生昔広告コピーの勉強をしたことがあったが、そこで言葉の持つ意味とかインパクトといったことを教えてもらった。で、「愛」という言葉ほど使い方がむつかしい言葉はない。へたに使うと愛知万博みたいに、恥ずかしくて照れくさいことになってしまう。たぶんこのネーミングを考えた人は、森羅万象あらゆるものに対する慈しみの心を持つべし、というコンセプトを「愛」という一文字で表現したかったのだろう。だとするときわめてへたくそなコピーラーターだ。「愛」を表現するのに「愛」という言葉をそのまま使ったから恥ずかしくなったのだ。誰のことだったのか忘れたが、ある高名な作家が空が青いことを表現するのに、あらゆる表現方法を考えぬいて、結局「空が青い」という言葉に行きついた、という話を聞いたことがある。読者は、なんの考えもなしに書かれた「空が青い」と、沢山の選択肢の中から選ばれた「空が青い」の違いがわかるという。確かにわかる。この万博のネーミングなどはあんまり考えられてないことがよくわかる。
 小生、博覧会は嫌いではない。大阪の万博、ポートピア博、花博、と関西で開催された博覧会はひととおり行った。特に70年の万博の時は小生19歳。日本はまさに高度成長経済の真っ只中。小生もSFファンになって数年。若く好奇心旺盛な青少年だった。よく憶えてないが、確か5回か6回行った。ほとんどのパビリオンを見たはず。例の「月の石」も2時間ほど行列して見た。別になんていうこともないただの石ころだったが、妙に興奮したのを記憶している。
昼食はいつもケンタッキーフライドチキンだった。たしかケンタッキーが日本に進出してあまり時間がたってなかったのではないだろうか。アメリカの鶏の空揚げというのが珍しく、当時は大変おいしく感じた。
 
 

(2005.4)

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