戻る

とつぜんコラム No.60

雫石 鉄也


 
 少し前の話だが、映画「ALWAYS三丁目の夕陽」がヒットしたりして、ちょっとした昭和ブームがあった。小生は昭和20年代の生まれ。だから昭和史の後半とともに成長してきた。根っからの昭和っ子といえる。いわゆる団塊の世代に属し、子供のころは戦後の混乱の名残りがあった。高度成長経済とともに成長し、中学生の時に東京オリンピックがあり、十代の終わりに大阪万博を経験した。そしてクラーク&キューブリックの「2001年宇宙の旅」の日本初公開に立ち会ったのも十代の終わりだった。
 戦前の大日本帝国は知らないが、戦後の民主主義国の日本は知っている。だから小生たち団塊の世代は昭和史の後半とともに成長してきたわけ。その昭和が過去のものとなって20年近い年月が流れた。そこで昭和を振り返ってみよう。ただし小生は民主主義国日本の昭和しか知らないが。
 結論からいおう。平成と昭和どっちがいいか。平成の方がいい。昭和は過ぎ去った時代である。今はもう無いものは懐かしい。イヤなことは時代の流れに流されて、良い思いで、良い印象だけが残るものだ。昭和を懐かしむ風潮はこのためだろう。しかし冷静になって昭和時代を考えると、腑に落ちないこともたくさんある。なによりも、まず、昭和は本当の民主主義が根付いていない時代だった。
 例えば、為政者VS市民・経営者VS労働者・教師VS生徒。これらは昭和時代は対立構造として成り立っていた。数式で表すと、為政者>市民・経営者>労働者・教師>生徒、と不等式で表されたのが昭和であった。もちろん式の左の項目の方が権力、地位、そして価値までが上位と見なされた。全てのことで式の左が右を凌駕していた。個人的な人格までも為政者は市民より、経営者は労働者より、教師は生徒より上とされていたのである。
 これが平成になってそれぞれの数式は=(イコール)で表されるようになった。本来これらは平等であるべきで、時代が昭和から平成になって、やっとあるべき姿に落ち着いたわけ。人間としての価値はもちろん、権力、地位、など色々なファクターは、為政者、市民、経営者、労働者、教師、生徒、みんな平等なのだ。ではなにが違うかといえば「立場」と「仕事」が違うだけ。為政者は為政者としての「立場」と「仕事」があり市民は市民としての「立場」と「仕事」がある。経営者には経営者としての「立場」と「仕事」がある。ただ、これらの数式の左と右は区別する必要はある。区別することなく、それぞれが好き勝手に動き出したら社会はまともに動かない。区別はしなくてはならないが、差別は決してしてはならない。差別と区別は違うのだ。為政者、経営者、教師は決して市民、労働者、生徒よりはエラくはない。それぞれが相手の「立場」と「仕事」をしっかり認識して尊重しあうべきだ。
 昭和から平成に変わって以上のようなことが日本人のあいだに定着してきたといえよう。とはいうものの、まだ為政者>市民、経営者>労働者、教師>生徒という構造は残ってはいるが。この国で生きている人々が真の平等と自由を得るにはまだまだ時間が必要なのでは。

 

(2006.6)

inserted by FC2 system